death-of-grandfather

記憶にある祖母はよく怒っている人で、おっとりとした祖父はいつも叱られていました。
私もよく怒られていたのでずっと祖母は怖い人、苦手だと思っていました。

おばあちゃんはおじいちゃんが嫌いなのかな?と幼い頃は思っていましたが、祖父が事故で亡くなった時、祖母が漏らした言葉が今でも忘れられずにいます。

苦手だった厳しい祖母

当時の私はまだ高校生。
新しい友達関係やバイトなど日々を充実して過ごしていました。

自転車で三十分以内の場所に祖父母は住んでおり、時々母たちと自転車で遊びに行ったりしていました。

幼い頃はおねしょをしては怒られ、遊び方が男の子のようで怒られ、言葉遣いが悪いと叱られ、何かと注意されていた私は祖母が苦手でした。

一方、祖父はおっとりとしていてとても優しく、一緒にマリオカートをしたりしていつも私たち兄弟と遊んでくれていました。

ゲームばっかり!と祖母に怒られながらやるマリオカートが楽しくて、文句を言いながら祖母が用意してくれる茶色い夕飯を食べて、何でもないそんな日々が凄く幸せだったんだなと思います。

 

事故にあった祖父

夏のある日、祖父が事故に遭ったと母から電話が来ました。
行きたいライブがあったのでバイトを頑張っていた時でしたが、直ぐに病院に駆け付けました。

自転車で出かけていた帰り、横断歩道を走行中に車とぶつかったと説明されました。

祖父は元々肥満で、脂肪が多すぎて手術が出来なかったそうです。
高齢だったのでそれもあると思います。

チューブだらけで意識もないまま時間だけが過ぎていく日々が一か月程続きました。

その間にどんどん痩せていった祖父に会うのは辛く、痩せたら手術が出来る、また元気になると自分に言い聞かせて現実から逃げていました。

お見舞いも、あまり行かず。行っても会うのが辛くて治療室に入れず。

今思えば、もっと祖父に会っておけば良かった。

例え聞こえていなくても、おじいちゃんと呼んで声を掛ければ良かったと後悔するばかりです。

 

祖父が亡くなる日

あの日、今夜が峠だと告げられた祖母や母は親戚を呼んで病院に長い時間いました。

まだ安定しているから私と兄に夕飯を食べさせようと、母と祖母、私と兄が病院から十分の祖母宅へ一度帰宅しました。

帰宅途中、病院を出て本当に直ぐ。
叔父が入院している病院から連絡がきました。

容体が急変した祖父は、私たちが病院に着く前に息を引き取りました。

たった五分十分の間です。

もう目を開ける事のない祖父の隣に行った時、祖母が

「ずっと一緒だったのに最期に立ち会えなかった、何で待ってくれなかった」

「お疲れ様」

と言って涙を流した姿が私の中に強烈に刻まれました。

 

初めて見せた祖母の姿

いつも気丈で、強いと思っていた祖母の悲しそうな、寂しそうな、しぼりだす様な声を初めて聞きました。
祖父が亡くなって、初めて祖母が小さく見えました。

幼い頃は怖かった祖母、ずっと苦手だった祖母。

大きく感じていたのに、いつの間にか祖母の背を越えていたと気付きました。

文句を言う相手が急に居なくなってしまった祖母。滅多に外に出ない祖父と、偶に行く旅行を楽しみにしていた祖母。貧乏を経験して、一生懸命になって三人の子供を育てた祖父母。

これからは祖父に変わって私たちが祖母を守らないと。

祖父に出来なかった分、祖母に孝行しないと、そう思いました。

 

最後に

じいちゃん聞いて。

じいちゃんが死んでから十年以上が経ち、迷惑をかけっぱなしだった私も結婚をしてばあちゃんに曾孫を見せてあげられました。

じいさんは喜んだろうに、子供が好きなのにこんなに可愛い子を抱けないなくて馬鹿だね、と言うばあちゃんは少し寂しそうです。

ばあちゃん大事にしてるよ、子供たちもばあちゃんに懐いてるよ。

じいちゃん、今でも好きだよ。

ばあちゃんも好きだよ。

 

だから安心して下さい、ばあちゃん泣かせないからね。