「人を見た目で判断してはいけない」というのは、一種の真理のように信じられているけれど本当にそうなのだろうか。

これから書くことは私が高校生の頃に経験し、今でもふと考えてしまうことです。
そして、あの時友達が言った一言にとても心を動かされました。

中止になった文化祭のイベント

高校三年生の文化祭直前、担任の先生から

「今年の美男美女コンテストは中止だ」と宣告されました。

これまでずっと文化祭のメインイベントだった「美男美女コンテスト」が中止になるということに誰もが異議を唱えました。

「PTAからの苦情が毎年殺到していて、さすがにピークに達してしまった。もう決定 してしまったことだ。」
と先生は力強く私たちに主張を押し付けました。

しかしその主張の正当性を裏付けている根拠は

「外見で人を評価するのは悪いことである。」

というとても曖昧な常識でしかないのだと私は感じました。

 

友達VS先生

心がもやもやしてきて、違和感が体中を支配するようなむづかゆい気分になった私は、 隣の席に座っていた友達のA君に

「外見で人を評価するのって、そんなに悪いことかな?」と聞きました。

すると、A君は突然手を挙げて、先生に質問しました。

「どんな苦情が来てるんですか?」みんなが聞きたかったことを代弁したので、私も驚きました。

すぐに先生が答えました。

「内面を育てる学校で、外見を 評価するイベントを催して、外見がいい人に人望が集まるような状況を作るのはいかがなものか。」
という苦情が寄せられていると。

すぐにA君が応戦しました。

「外見だけで人間を評価するのは確かによくないことかもしれないが、外見が悪い人間を祭り上げてるわけではなく、外見が良いというその人の優れた特 徴を評価してあげるイベントなのだから、いいのではないか。」

先生は少し考えて

「内面を考えることを忘れてはいけない。かっこよくても犯罪者ではいけ ない。」と答えました。

A君は「外見を評価しないというのは間違っていると思う。外見は努力ではないのかもしれないけれど、その人の先天的ないい部分なのだから、評価してあげなければ、逆にその人の内面に悪い影響を及ぼすのではないでしょうか。」

と反論しました。

先生は黙り込んでしまいました。

そしてA君が最後に言いました。

「結局、どれだけ大人になったって、外見のいい人が優遇されたりするでしょう。それなら、今からそんな状況に慣れておくべきだと思います。外見の評価は不公平であるなんてことを叫んでも、現実逃避を覚えさせるようなもので内面は育つと思えません。」

 

どちらが正解でもない

私はこのA君の言葉をいまだに忘れることができません。

結局先生は、A君の主張を会議で相談してみるといってはいたものの、コンテストは開催されませんでした。

些細なことでしたが、この問答は現実を表しているなと感じました。

教育は現実から目を背けさせることなのか?
それとも現実を直視させるのか?

「外見と内面のどっちが大事なのか」

一概には言えないけれど、考え続けなけれなばならないとおもいます。

A君の言葉は、胸にいまでも突き刺さっています。